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電灯のない時代はもちろん、その設備が出来てからでも、地方の電灯は電力が十分でないと見えて、夜の風呂場などは濛々もうもうたる湯気に鎖とざされて、人の顔さえもよく見えないくらいである。まして電灯のない温泉場で、うす暗いランプの光をたよりに、夜ふけのふろなどに入っていると、山風の声、谷川の音、なんだか薄気味の悪いように感じられることもあった。今日でも地方の山奥の温泉場などへ行けば、こんなところがないでもないが、以前は東京近傍の温泉場も皆こんな有様であったのであるから、現在の繁華に比較して実に隔世の感に堪えない。したがって、昔から温泉場には怪談が多い。そのなかでやや異色のものを左に一つ紹介する。
「ふむ、もうよろしい、よろしい」
「ふうん」
「あの山に田地を注ぎこんで裸になつたのは三人、わしも知つとる」
「分家の当主は今は、若い人の代で、たしか喜作といふ筈ですが、あれも随分永いこと県外に出ているさうですな」
「あれだね、君は見かけによらない――親思ひなんだね!」
「ほらね、かういふ形のと、又別にかういふのがあるだらう」
「うむ、――え?」
「あなたの追鮎は元気らしいなあ」
房一は白シャツを着た小柄な大工と並んで立ちながら、玄関を眺めて云つた。
「ねえ。――はやく。――患者ですわ」